源氏物語 note 01


桐壷の中の、源氏の元服のシーンに「添い臥し」という単語が出てくる。普通これは、単なる添い寝を意味しているが、紫式部が源氏の元服の夜に「添い臥し」という単語を使ったのは、単なる添い寝という意味ではない。当時、特に源氏のような身分の高い少年の元服には、その夜、然るべき貴族の少女と性交渉をさせるという一種の通過儀礼が行われていたのだ。

僕は、ただ『源氏物語』を現代の言葉に訳しているにすぎない。したがって道徳観や倫理観を云々する立場にはないし、そういったものを持ち出す気もない。だから僕は桐壷の「添い臥し」という単語を、紫式部が使ったままの意味「元服の夜に添い寝をさせる相手」として訳した。


 また空蝉は、源氏と紀伊介の後妻との愛の駆け引きが描かれている帖だが、古来、空蝉はもうひとつの愛、すなわち源氏と空蝉の弟である小君との愛について盛んに取り沙汰されてきた。こういったことが影をひそめたのは、おそらく近代になり同性愛というものがタブーとなったからだろう。そしておそらく近代に行われた『源氏物語』の現代語訳もまた、読者に不快感を与えないように、そういったことに配慮して訳されてきたのだろう。

しかし平安時代、たとえば藤原頼長の日記『台記』には、彼と貴族や武士たちとの同性愛が詳細に記されていることはよく知られているし、文学にいたっても、姫君として育てられた女装した内気な兄と、若君として育てられた男装した勝気な妹の物語『とりかへばや物語』は特に有名だし、少し時代は下るが『我が身にたどる姫君』にいたっても、男と男、女と女の愛というものが描かれている。


では源氏と小君の関係はどう描かれているのか。

実際に源氏と小君の性交渉の記述はない。これは源氏と小君との間に限ったことではなく、紫式部は『源氏物語』の中に性交渉の場面をまったく描いていない。たとえば源氏がまだ少女だった若紫との初めての夜の場面もまったく描かれていない。ただ「男君はとく起きたまひて、女君はさらに起きたまはぬ朝あり」ようするに源氏は早く起きたが、若紫がなかなか起きなかった朝があった、これで紫式部は二人の初めての夜を表現している。


 空蝉の中で源氏は、小君について「らうたし」可愛い、「あはれ」愛しい、という言葉を使い、夜はそばに寝かせ、手で触れた小君の体の感触が姉君の体の感触と似ていると言っている。ただ、それだけである。源氏は17歳、小君は13歳。正妻となる葵上が添い臥しを勤めた、源氏が元服をしたのは15歳だった。

それを読み、二人の間にどんな関係があったのか、それを判断するのは読者自身の感受性の問題だ。

1000年前に、紫式部というひとりの女性によって書かれた『源氏物語』は、その後、多くの時を経て、多くの人に読まれてきた。そこにはまたいろいろな時代が流れ、様々な価値観が様々な時代の人々の心を揺り動かし、そんな中で『源氏物語』は読まれ続けてきた。

今、LGBTという価値観が広がりをみせ始め、従来の既成概念を次々と塗り替えようとしている。そんな時代を迎え、我々は今、新たに『源氏物語』をどう読むのか。

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